大貞八幡宮薦神社(こもじんじゃ)|大分県中津市|神門(国指定重要文化財)|出張祭典|お宮参り|七五三参り|厄除け|鎮疫祭|仲秋祭|菊花展

神門
江戸時代初期の大変珍しい形式の裳階付き三間一戸二重門で、江戸時代初期の門として学術的にも重要な建築物であり、国指定重要文化財になっています。

西門の欄間(らんま)
四脚門であり、現存するこの門は万延元年(1960)に改築されたものです。
この彫刻は昔、この辺りを拠点として暴れていた人食いの鬼を八幡神が鎮め龍神をよび封印した絵です。

三角池
昔はこの池にはえているマコモという植物を枕状に編んで、宇佐神宮のご神体の御験にしていました。現在でもハンノキ林、ハス、オニバス、スイレンなど貴重な植物が残存しています。

薦神社からのお知らせ
2011/11/30 今年の菊花展の写真を追加しました。
2011/11/12 平成24年お正月の巫女は、募集終了致しました。
2011/08/18 行事案内を更新しました。
2011/06/11 縁結びの御守の準備が整いました。
2011/05/31 お問い合わせを再開しました
行事案内
奥村暢欣写真展
薦神社の社殿

社伝によれば、承和年中(834〜48)に初めて社殿が造られ、天仁2年(1109)に神宮寺の七堂伽藍が建立されましたが、源平の争乱時の元暦元年(1184)、緒方惟栄によって社殿が破壊されたといわれています。
その後長く記録が途絶えますが室町時代になると、豊前国をも領した周防・長門の守護大内氏によって、応永〜永享年間(1418〜31)及び天文年間(1532〜55)の二度にわたって社殿の再興が行われました。ついで、慶長5年(1600)黒田氏の転封後入部した細川忠興公は宇佐宮とともに薦神社の復興にも力を注ぎ、元和年間(1615〜24)に本殿・講演堂(申殿)・回廊・御炊殿・薬師堂・楼門・若宮殿・南門・鳥居などを造営しました。復興された薦神社境内の様子は、その時に描かれた『宇佐宮絵図』にうかがうことができます。細川氏の復興した楼門が現在の神門で、国の重要文化財に指定されています。
明治20年の「薦神社明細図書」には幕末以後造営された社殿の記載があり、若宮社・祇園社・呉橋・馬屋・玉垣・黒男社・井戸館などの建物がみられます。
その後二度にわたる大戦とその後の混乱の中で社殿の老朽化が進んだため、平成7年から神門(重要文化財)の解体修理、9年から拝殿・申殿などの修理を行ってまいりました。
なお、昭和51年三角池と薦神社が県の史跡に、55年には三角池の水生・湿池植物群落が県の天然記念物に指定されています。

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薦神社
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■神門(国指定重要文化財)
裳階付き三間一戸二重門。元和8(1622)年に細川忠興が再建して以来、中津藩主小笠原氏・奥平氏も修復に力を尽くしました。平成の大修理では、建物の解体段階で、多くの墨書銘が発見され、さらに再建時の屋根はこけら葺きであったことが判明、このため桧皮葺きからこけら葺きに復元されました。
神門には三つの大きな特徴があります。第一に、二重門の前後には、庇状の裳階が付設されていることです。第二に、平面の規模に比べ立面は縦長で、側面から見ると幅が狭く、棟高を一層感じさせられます。第三に、木鼻の細部の繰型や絵様が豊かで線も伸びやかで、意匠や造りが共に優れており、工匠の技量の高さがしのばれます。

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